縁起

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日蓮聖人と安国論寺

日蓮聖人は 相次ぐ自然災害や争乱などで混乱を極めた鎌倉時代に生き 幾多の困難に見舞われながらも 強い信念のもと お釈迦さまの最も大切な教えである法華経を弘めた方です 人々の苦しみを取り除き 社会全体が幸せになるように願った日蓮聖人は 来世だけではなく 今生きている人が救われることの大切さを説き 法華経への信仰にその生涯を捧げました 日蓮聖人が説く 悟りへ至る最も大切な修行である「お題目(南無妙法蓮華経)」をお唱えすることは 今なお多くの人々の心の拠り所となっています その日蓮聖人が建長5(1253)年に千葉の清澄寺で立教開宗(日蓮宗を開かれたこと)をされた後 鎌倉での布教を志され 松葉ヶ谷の岩窟に草庵を結ばれたのが当山の始まりです

この地で約20年を過ごされ かの有名な『立正安国論』もここで執筆されました 『立正安国論』を奏進したことにより 権力者や他宗派の人々の怒りを買い 同年8月27日に焼き討ちに遭いました 此処の地名を取って 「松葉ヶ谷の法難」と呼びます このような縁起により 当山は「松葉ヶ谷霊跡 妙法華経山 安国論寺」といいます 昔は「安国論窟寺」とも言いました 「松葉ヶ谷の法難」だけでなく 「伊豆流罪」の時も「龍口法難」の時もこの地で捕縛されました その意味で 日蓮聖人のご生涯中でもとりわけ重要な場所と言えます また この地で多くの人が弟子となり信者となりました 教団としての日蓮宗の始まりの地とも言え 安国論寺はとても大切なお寺です

立正安国論

日蓮聖人の代表的著作である『立正安国論』は 文応元(1260)年7月16日に前執権北条時頼に奏進されました 当時の日本は 大風(台風)・大地震・疫病の流行・飢饉などの災害に次々と見舞われていました そのような苦しい時代に 厄災が起こる原因と あるべき姿を示したのがこの『立正安国論』です

『立正安国論』という題名から非常に難しい内容のように思われますが 実際は旅人と宿屋の主人との対話という構成になっており とてもわかりやすくなっています 簡潔に言うと 法華経(妙法蓮華経)は 苦難に満ちたこの世に生きる私達を救う最高の教えです その教えを信仰し 落ち着いた平和な国を作りましょうというのが その主題です

この日蓮聖人の主張は 仏教の本義に基づき 現実の世界にも照らし また理性的論理的判断としても合理的なものですが その舌鋒の鋭さから 特に他の宗教の僧侶や信者から大変な怒りをかうことになりました

『立正安国論』は幕府に無視されたばかりか これにより 日蓮聖人は数多くの攻撃や迫害を受けることになります しかしその後 本書の警告通りに他国侵逼難(外国からの侵略)・自界叛逆難(内乱)が実際に起きたことから その正しさが明らかとなり 一方で日蓮聖人を信仰する人々も増えてゆくことになります

日蓮聖人は 最期の門弟への講義でも取り上げるなど 生涯に亘って本書を重んじました

御難おむすび

当山発祥と伝えられる御難おむすび その由来については 諸説が語り継がれています 一説には 日蓮聖人が松葉ヶ谷の草庵(現在の安国論寺)で焼き討ちされた際 山王権現の使いである白猿に助けられ 南面窟で一夜を明かし その後尾根伝いに現在の猿畠山法性寺へ退避し 難を逃れた際 白猿が差し出した食べ物が御難おむすびの起源になったとされています 当山の古い石像から その食べ物が握り飯の形をしていたことがうかがえます

また別の説では 亡きものにしようと企む幕府の役人に捕らえられ刑場である龍ノ口へとつれて行かれる日蓮聖人が首を切られそうになりましたが 途中でゴマ入りのぼたもちの供養を受け 奇跡的に助かったという事が 御難おむすびの誕生につながったともされています この出来事が 御難を逃れるための食べ物として 御難おむすびが作られるようになったと考えられています

御難おむすびは 青しそ・紅生姜・梅・白ごまを細かく刻んで和えたものを白米に混ぜて握ったものです 日蓮聖人が布教に邁進する中で で数々の困難を乗り越えられたことにちなみ 家族の無事と安泰を願って作られる風習が 現在も受け継がれています

ご挨拶

住職 平井智親

安国論寺52世住職の平井智親と申します 私は国際布教師として26年に亘り海外で日蓮宗の布教に励んでおりました そのままずっと海外で布教にあたるつもりでしたが ご縁を頂き 平成30年の暮れに当山住職となりました お寺は 法事や葬儀の場所というだけでなく 修行の場であり学びの場であり 欲を離れて悟りを求める場です その意味で 亡くなられた人だけでなく生きている人も心落ち着いて過ごせる処としたいと考えています 特に 安国論寺は 日蓮聖人が昔お住まいになった場所というだけでなく 今尚その御魂が留まる所であり 宗祖を偲び またお目にかかれる場所であると考えております このようなことから 多くの方とご縁をつなぎ お参りされるお寺となるよう精進を重ねたいと思います

平井智親 略歴

1963年(昭和38年)佐賀県生まれ
広島大卒 立正大大学院修了
平成4(1992)年11月に渡米 以来26年にわたって日蓮宗の海外布教に従事
プウネネ教会(米国ハワイ州マウイ)住職 英国ロンドン教会住職 国際センター(米国カリフォルニア州)所長 ハワイ日蓮宗別院住職 ハワイ開教区長 ハワイ仏教連盟会長等を歴任 元立正大学非常勤講師
平成30年12月より現職