松葉ヶ谷雁信

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お父さんのこと

今日は父の日法要を営みました 皆さんそれぞれにお父さんのことを思い出し 感謝の念を捧げたことと思います 今日はもう一人の父のお話をしたいと思います もう一人の父とは誰か それは 当然仏様のことです お経の中に 私はこの世の父であると書かれています

さて 昔あるところに 口を開けば人の悪口しかいわない 他の人を労わる思いやりと優しさに欠けた喜八という男がいました 生まれた時から感謝をしたことがなく 自分に都合が悪ければ親であろうと罵倒し これまで何人の人を傷付け陥れたかわかりませんでした

ある晩に 見かねた仏様が喜八の夢の中に現れて仰いました 「喜八や 喜八や お前は本当に愚かで心の醜い男です 夕べお前は隣の娘さんの容姿をからかって酷いことを言いましたね あの一言で その娘さんがどれほど傷付いたかお前にはわからないでしょう 夕べの娘さんで お前が傷付けた人が9999人になりました あと一人でも傷つけて1万人に達したら お前はその罪を償うために 死んでしまうでしょう しかし お前も可愛いわが子 最後にチャンスを与えましょう 朝 家の前に出てみなさい そこに9999本の釘が刺された木の杭が一本打ち込んであります お前が傷付けた人の数です お前が人を傷つけるたびに増えていった数です 人に感謝されたり 喜ばれたりすれば 釘は自然と減っていきます 釘が全てなくなるまで 絶対にこれ以上増やしてはなりませんよ 」翌朝目が覚めると 夢の通り 家の前に沢山の釘が刺さった杭が立っていました 改めてその釘の多さに驚いた喜八でしたが とりあえず死にたくないので その日から人の悪口を言うのをぱたりとやめました 更に 心はこもっていなかったものの よい行いを少しずつ重ね 釘を減らす努力をしました 最初こそ不審がっていた町の人でしたが 次第に打ち解け 喜八に感謝するようになりました 「これが感謝されるということなのか どういうわけか胸の奥がぽかぽかしてくる」それからも喜八は悪口を一切言わず 毎日毎日世のため人のために尽くしました 町の人も喜八の改心を喜び いつしか野菜やお米をくれるようになりました 初めこそ心の伴わなった喜八でしたが だんだんと感謝されることに喜びを感じ始め そうしている間に いつしかあれだけ沢山あった杭の釘は一本もなくなってしまいました すると 喜八の前に突然仏様が現れて こう仰いました 「喜八や 喜八 よくやりましたね 釘は全てなくなりました」突然のことで驚いた喜八でしたが いわれた通りに家の前に出ると 確かに釘は全て消えていました 途中から釘のことなどどうでもよくなっていた喜八は その時初めてそのことに気が付いたのでした 感動の涙を流す喜八に仏様は続けました 「お前はすっかり改心して 自分の罪を滅ぼすことができました しかし喜八 その杭をもう一度よく見てみなさい 確かに釘は奇麗さっぱりなくなりましたが そこには沢山の穴が開いています 釘を抜くのは簡単ですが 一旦開いた穴を塞ぐのはとても難しいのです 喜八や これからお前は一生をかけてその穴を塞ぐことに努力しなければなりません」そう言うと 仏様は杭と共に消えてしまいました さて 喜八はそれを聞いて改めて自分が犯した罪の大きさを知り いたく後悔し 涙を流しました 釘は全てなくなり 杭も消えてしまいましたが これからは見えない罪と向き合い 一生をかけてその罪滅ぼしを行ないました

さて 皆様はこの物語を聞いてどのような感想を持ちましたか どのようなことを考えましたか この物語には実に多くの教えが含まれています 例えば 人の心は見えません しかし 深く傷付くことがあり そしてその傷跡が長く残ることがあるということです 残念なことですが 私達は人の心の傷に無頓着なことがあります どのような傷をつけたのか その傷跡はどのくらい深いものなのか 私達は充分気をつけなければなりません 自分の意見を言うことは重要なことです しかし それと同じくらい人の話を聞くこと 人の気持ちを理解しようすることは大切なことです 人の気持ちを理解しようとすることを思いやりといいます 喜八は 最初思いやりが足りませんでした それは人の気持ちを理解しようとしなかったからです その結果 多くの人の心に深い傷跡を残したのです 傷は治っても 傷跡はなかなか治りません 一生消えないものもあります 一生消えない傷跡を人の心に付けることは大変なことです 私は 全ての人が今より少しだけ人の気持ちを理解しようすれば もう少しだけ思いやりを持てば世の中はだいぶよくなると思います 全員が一斉にそうすることは不可能かもしれません しかし 今日ここにお集まりの皆様は充分思いやりの心を既に持っていると思います でも もう少しだけ余計に思いやりの心を持つことができれば そしてそのことを家族や周りの人に伝えることができれば世の中は変わると思います

もう一つだけ 皆様にこの喜八の物語からご理解頂きたいことがあります それは 「お前はその罪を償うために 死んでしまうでしょう」という仏様のお言葉の意味です 仏様はここで 喜八が悪い人間だから殺すとは言われておりません 罰を与えるとも言われておりません 罪を償うために死ぬと言われています 誰が喜八を殺すのでしょうか 仏様ではありません 仏様は人を殺すどころか 実は罰さえ与えることはないのです 殺すのは 喜八の罪であり 喜八自身なのです 喜八も気付いてはいないかもしれませんが 自分が犯した罪により殺されるのです 私が小さい頃 いたずらをすると よく親に罰が当たるぞと怒られました その頃私は仏様から罰が下ると思っていました 仏様は怖い人だと思っていました でも実は違うのです 本当に怖いのは自分が犯した罪なのです 自分が犯した罪によって自分自身が罰を受けるという仏様の教えを因果あるいは縁起といいます 喜八は 人に酷いことをしたことにより死にそうになるという罰を受けました 喜八は親切にすることにより人に感謝されるという喜びを得ました 喜八は自分の行いが原因となり 様々な結果を得ました これが縁起です 実はこれは 仏様の教えで一番といっていいくらい大切なもので 仏様の最初の悟りの内容であるといわれています

今日は 父の日法要を営みました もう一人の父である仏様が どれほど子供である私たちのことをお考えになっておられるか 仏様の教えをご自分自身でもう一度考えてみて下さい そして 何かできることをやってみて下さい 仏様の教えで 皆様がより幸せになれることをお祈りしています ありがとうございました

2013年6月16日