松葉ヶ谷雁信

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七夕

今日7月7日は五節句の1つ七夕です
ひょっとしたら知らない方もおられるかもしれませんので 七夕の物語をおさらいしてみたいと思います

昔 天の川の東に機織が得意な美しい娘がいました 天帝の娘でとても働き者でした 天の川の西に働き者の牛追いの若者がいました 天帝は 二人の結婚を認め めでたく夫婦となりました しかし あまりに生活が楽しくて 二人は仕事をすることを忘れてしまいました このため天帝が怒り 二人を元のように天の川の両側に引き離し 年に一度7月7日だけ会うことを許しました その後二人は 年に一回会うことを楽しみにして 仕事に励むようになりました

意外に知られていないのですが 七夕は御盆行事の一つなのです 七夕とは「棚」と「幡」が合わさった言葉で 「棚」とは精霊棚を意味し あの世からこの世に帰ってくる先祖をお迎えするための棚のことです 「幡」とは 仏様を供養するために立てる幡のことです その棚と幡をお盆のために設置するのが七夕の語源といわれています

七夕には笹を飾り 願い事を書いた短冊を下げます 何故笹のなのかといえば 笹はこの世に帰ってきた精霊が宿るものといわれているからです 短冊に願い事を書くのは 中国で女性が針仕事の上達を願う行事があり それが七夕と融合し 機織が得意な織姫に針仕事が上達しますようにと願ったことが始まりのようです 願いを書く短冊は 私達がお盆法要で使う五色の施餓鬼幡から影響を受けたものといわれています 一見七夕と仏教は関係ないようですが 実は深くかかわっていることがお分かりいただけると思います

さて 先ほどの物語を聞いたある人は 年に一回しか会えなくても美人の奥さんと結婚できて羨ましいといい ある人は奥さんに年に一回しか会わなくていいのは羨ましいといいました 現代のアメリカなら間違いなく離婚裁判になるという人もいました 私は この話を改めて読んで 仏教的物語だなと思いました それは 必ず最後にどこかに救いがあるのです 仕事を怠った罰として引き離された二人ですので 本来ならば二度と再会できない方が筋としては通ります しかし 年一回会うことができるという温情が与えられ かすかな希望がもたらされます この希望が私は重要だと思っています

仏教の教えでは 私達は死後10の世界のいずれかに行くといわれています 一番上は仏様の世界 その下が 菩薩様の世界 それから 縁覚 声聞 天 そして人間の世界 その下は 修羅 畜生 餓鬼 地獄と繋がっています 生前の行いによりこのどこかに行くことになるのです 沢山悪いことをした人は地獄に落ちて 酷い苦しみを長い時間味わなければなりません しかしその苦しみの中で 生まれ変わって上の世界に行くチャンスが与えられます これはあくまでもチャンスですので みんなが上の世界に行くわけではありません そのまま地獄に残ってもっと苦しむ人も多いのです

ですが ごくわずかの人が与えられたチャンスを活かし 上の世界に生まれ変わります このような希望が 言い方を換えれば救いが どこにもいつでも説かれているのが仏様の教えなのです だから私はとても有り難いと思っています 日々生活しているといろいろな問題に悩まされます どうしても解決できない もう自殺するしかないと思いつめてしまうこともあるでしょう でも考えてみて下さい 地獄にさえ希望や救いはあります そうであるならば 私たち人間の世界にも希望や救いがどこかに必ずあるはずです いろいろなことで混乱し わからなくなっているだけで どこにでもいつでも必ずあるのです それが仏様の教えなのです

2013年7月7日