松葉ヶ谷雁信

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四聖諦

先日 チキン照り焼きが食べたいと思い ッピーズに行きました とても美味しくて満足しましたが 隣を見ると男性がロコモコを食べていました なんだかとても美味しそうに見えて チキン照り焼きではなく ロコモコにすればよかったのではと思ってしまいました

若い時になら2ついっぺんに食べることもできたのでしょうけれどもさすがにこの歳になるとそれは無理です もし 私がロコモコを食べたとしたら やはりチキン照り焼きを食べたかったと思うでしょう どっちを食べた方がよかったのだろうと悩みました いろいろ悩んで考えた結果は どちらを食べても悩みは同じ どちらも食べなかったとしてもチキン照り焼きを食べたいとずっと思っていたことでしょう よくよく考えてみると 私がチキン照り焼きが食べたいと思ったことが発端となり いろいろなものが食べたいと欲が出て 悩んでいたのです もし そのようなことを思わずに律子の作ってくれたものだけを黙って食べていれば何も悩む必要はなかったのです 多分多くの人がこのような経験をされたことがあると思います

ところで 仏教の教えは難しいとよく言われます 理解することも難しいし それを実践することも難しい 特に日常生活の中でどのように教えを活かして生きていけばよいのかわからないといわれます 確かに難しい教えといえるかもしれません でも仏様は人々にわからないような教えを説かれたわけではありません できるだけわかりやすく教えを説かれたのです その証拠に 法華経の中には多くのたとえ話ががあります たとえ話によって 人々に分かり易く また時代を超え場所を超え 文化を超えて伝わるように説かれているのです

最も基本的な仏教の教えは 四聖諦といわれるものです
それは ①この世は苦しみに満ちている ②苦しみの原因は欲望である ③欲望を除くことによって苦しみから逃れることができる ④欲望を除くには 八正道によらなければならない というものです
たったこれだけと思われるかもしれません たったこれだけですが 私たちの日常生活においてはとても重要な意味を持っています

この四聖諦によってジッピーズでの話をもう一度考えてみましょう 私には チキン照り焼きを食べたいという欲がありました それを叶えるためにジッピーズに行きました その思いは叶い 私は満足しました しかし 次の瞬間にまた別の欲が出たのです ロコモコを食べたいという欲です でも両方は食べられないし ひょっとしたら他のものがもっと良かったかもしれないとしばらく悩みました つまり 欲が次々に出てきて私はいろいろ悩んだのです そしてその欲望により 私は苦しんだのです 自分を苦しめたものは自分自身の欲望であったのです そのことにその時に気が付いていれば もっと楽になっていたのでしょうが 私が気がついたのは後になってからでした このように考えると 仏様の教えが日常生活の中でとても有意義で大切なことがわかります

しかし その大切な教えを実践すべき時になると それが充分にできていないのです ちゃんと理解しているつもりでも 必要な時にそのことを思い出せないことはよくあります しかし それは自分の問題です 仏様の問題でも教えの問題でもありません ですから 実は自分こそが仏様の教えを難しくしているのです 自分こそが仏様の教えを実践していないのです

仏様の教えは日常生活のいろいろなところで重要な意味を持っています ただ 残念なことにそれに私達はなかなか気がつきません 日常生活の至るところで仏様の教えは大切なのです ですから もっと気楽に身近に仏様の教えを聞いてほしいと私は思っています 次回は 八正道についてお話したいと思います

※ジッピーズ…ハワイを代表するファミリーレストラン

2013年11月17日