松葉ヶ谷雁信

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頭巾

日蓮聖人が頭巾を被っておられるのを皆さんお気付きでしょうか ここしばらく被っておられなかったと聞きましたので 知らない方もおられるかもしれません 今日はそのことについてお話をしたいと思います

世界中にお祀りされている日蓮聖人のお像の中で 頭巾を被られているのはここハワイ日蓮宗別院のお像だけです 多くの日蓮宗寺院では 頭巾ではなく厚いお綿を被っておられます 何故この時期にお綿を被っておられるのでしょうか それは 日蓮聖人は以前額に怪我を負われたことがあるので 冬場になるとその古傷が痛むのではないかと心配し 各お寺でお綿をかけるようになったのです お寺によりその時期は多少違いがありますが 秋の適当な時期にかけ 暖かくなった春にそのお綿をはずしています ハワイではそれほど寒くはならないので 厚いお綿の代わりに頭巾を被っておられるのです

日蓮聖人の額の傷についてお話したいと思います 日蓮聖人は 地震や台風疫病などの天災と戦争などの人災で社会が乱れている時に 間違った信仰をしているからこのような混乱が起きるのだ 正しい信仰をすれば 仏様も守って下さり 社会も落ち着くと時の権力者に『立正安国論』という本を書いて1260年に諫言をしました 同時に幕府が置かれた鎌倉の街角で布教に励みました しかし そのアドバイスは聞き入れられることなく逆に伊豆に流されてしまいました 1263年に赦されて鎌倉に戻りましたが 日蓮聖人を快く思わない人も多く大変危険な状態でした お母様の危篤の知らせを受けて 危険を避ける意味もあって故郷である千葉県の小湊に戻られました しかし 地元にも日蓮聖人のことを不快に思う人は多かったのです 幕府に建白書を提出したり 法華経の信仰を勧めることに 熱心な念仏信者である地頭東条景信などが不満を募らせていました そしてついに 1264年11月11日に小松原というところで 日蓮聖人を襲ったのでした 信徒工藤吉隆の招きでその館に向う十数人の一行を数百人の家来を連れた東条景信が襲ったのです その時の様子を日蓮聖人は 矢は雨のように降り注ぎ 打ち合う刀から出る光は稲妻のようであったと言われています 弟子鏡忍房はその場で殺され 他の弟子二人も重傷を負いました 知らせを聞いて助けに来た工藤吉隆も殺されてしまいます 日蓮聖人ご自身も左腕を折られ額を切られ重傷を負いましたが なんとか逃げ延びることができました 日蓮聖人は その御生涯で何度も迫害に遭われていますが この時は直接切られたことがはっきりしています

さて 日蓮聖人の最も古いお像は 池上本門寺にお祀りされているもので 亡くなられて13年後に作られたものです ですから 晩年体調を崩されてむくんだ時のものと言われていますが そのお姿を非常に良く表しているといわれています このような古いお像の額には生々しい傷跡も再現されているそうです この別院にあるお像は 沖原先生の時にお祀りするようになったものです 納骨堂にお祀りされているものは 詳細はわかりませんが どれほど古くても100年を遡ることはないでしょう つまり それほど古いものではありませんので 額に傷は作られていません

さて 法難の時 工藤吉隆の妻は妊娠中で 翌年男の子を産みます 遺言に従い 10年後その子は日蓮聖人の弟子となりました 修行を積んだ後 日蓮聖人の命により 鏡忍房と工藤吉隆を弔うために法難が起きたところにお寺を建てました 殉教した鏡忍房に因んで鏡忍寺といいます 立派なお寺です そして 実は 今年2013年は小松原法難から数えて750年目に当ります 先月 その鏡忍寺で大きな法要が営まれました 今日は 12月15日です 旧暦では11月13日で 11月11日に起きた小松原法難に一番近い日曜となります ですから 少し予定を変えて第750回小松原法難会を当別院でも営みました

日蓮聖人のご生涯は 法華経をお題目を広めるためのものでした そのため いろいろな迫害を受け 命まで狙われることが度々ありました そのような御苦労のお陰で今日私達はその教えに出会うことができました 日蓮聖人に感謝し その御苦労を偲ぶ時 冬場にお綿をかけるということは 自然発生的に出てきたもので 篤い信仰の現われということができると思います 木の像に綿をかけるという行為は 一見無意味なものに見えるかもしれません しかし その綿や頭巾に込められた日蓮聖人に対する思いは 大切にされるべきものと思います

2013年12月15日