松葉ヶ谷雁信

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お正月

皆様明けましておめでとうございます

ご機嫌はいかがでしょうか 2014年の初めての朝を迎えともにお題目をお唱えすることができとても嬉しく思います

皆さんはお正月に関してどのような思い出をお持ちでしょうか 私にとっては お正月は本当に新しい朝というイメージが強くあります その理由は 元旦の朝起きると枕元新しい下着が用意されいたからです 真新しいものを身に付けると 全てが真新しく感じました そして厳粛な新春法要を父が営むのですが ものすごく寒い中で長時間にわたって行われますので 私は嫌いでした 法要が終わるとお屠蘇とおせち料理を頂き 待ちに待ったお年玉をもらいます お年玉とは 年初めのプレゼントとお考え下さい 最近ではお年玉は現金を渡すことが多いようですが 私が小さい頃は欲しいものをリクエストしてもらっていました チャンバラごっこが大好きでしたので 私はよく刀をリクエストしてました おもちゃの刀をもらうと大喜びで遊んでいました 現在のクリスマスプレゼントとほぼ同じです ここにいる皆さんは お年玉をもらったことはないかもしれませんね 多分その代わりにクリスマスプレゼントをもらっていたのではないでしょうか 日本では今とんでもないことがまかり通っています それは クリスマスプレゼントをもらい わずか一週間後にお年玉ももらっているのです 両方もらうなどとんでもないことです 子供にとっては夢のような 親や親戚にとっては悪夢の一週間と言えます 仏様は 法華経の中で「少欲知足」と教えられています

さて 日蓮聖人はお正月についてどのようにお考えだったのでしょうか お手紙の中で 「新年の慶びは花が開くようなものである」といわれています 確かに新しい年を迎えることができる慶びは 長い寒い冬に耐え 明るく暖かい日を浴びてやっと咲いた花のようなものかもしれません

命の大切さについては今更いうまでもないと思います 何故命は大切なのか いろいろな理由があると思います その一つは 命が儚いものであるからだと思います 私達は皆そのことを充分に知っています どんなに年配でも若い人でも男でも女でもお金持ちでも貧乏でも 命は一人に一つずつしかありません そして その寿命については 自分のものでありながら 誰も知りません 今日お迎えが来るのか 明日お迎えが来るのか あるいは10年後にお迎えが来るのか 誰も知りません 何の保証もない日々を私達は毎日生きているのです 私たちが毎日生きていることを確認するためには 何か目安が必要です それがお正月だと思うのです 一年という目安をつくることで ここまで生きてきたと理解することができます 2014年のお正月を向かえ ここまで生きてきたことを振り返ると 素直にありがたいと私は思います そしてまた新しい年を迎えられたことを 花が咲くような大きな慶びと感じています

その大切な命 かけがえのない命を使って今年はどのような年にしたいとお考えでしょうか 命を無駄にはできません ということは 時間を無駄にはできないということです 2014年という時間をどのように使いたいと思いますか

私は このお寺をよくするために使いたいと思っています 具体的には このお寺をよくするにはどうしたらよいということを 皆さんと充分議論したいと思っています お寺は 仏様日蓮聖人のものでありますが 皆様のものでもあります 共に手を携え 少しでも良くなるように努力したいと思います 今年一年の皆さんの協力を是非お願いします

2014年1月1日