松葉ヶ谷雁信

Scroll

皆さんおはようございます

今日は 節分祈祷会を行いました 節分とは 季節を分けるという意味で 冬の終わりということです 具体的には 2月3日が冬の最後の日で 2月4日が春の最初の日であり 新しい歳の始まりとなるのです 今年は 午年ですが 2014年2月3日及びそれ以前に生まれた人は 前の歳の干支となりますので 蛇年となります 2014年2月4日から2015年2月3日生まれが 午年となるのです その季節の変わり目に 邪気を払い 翌年の幸福祈る行事が節分の豆まきなのです

さて 先日「縁」について少しだけお話しました 今日はそのことについてもう少し話をしてみたいと思います 法華経の中にも「縁」という言葉はたくさん使われています 今日読んだところにも使われていて 例えば14ページの下から5行目に「如是縁」 29ページ下から6行目「以有事縁」とあります 仏様は 縁について「此れによって彼あり 此れ無くんば彼無し 此れ生ずれば彼生じ 此れ滅すれば彼滅す」と教えられています

「縁」にはいろいろな意味がありますが ここでは眼に見えない関係としておきます 眼には見えないけれど 全てのことは何一つとして独自に存在するものではなく 必ず他との関係において存在すると仏様は教えられているのです その関係を「縁」という言葉で表されているのです

私達は 親との深い縁があってこの世に生まれることができました 兄弟や親戚との縁がすぐにでき 友達や同僚との縁の中で成長して生きてくることができました 縁はいいものばかりではありませんが 私達は 様々な縁によっていろいろなことを学んできました そのことについて感謝してもし足りないぐらいだと思います そして仏様は 理論を理解し感謝するだけでなく その実践者となることを求められています つまり ただ単に縁のことを学ぶだけではなく それを実際の生活の中に活かすこと 自分がよき縁の発信者となることが重要なのです

皆さんは池に石を投げたことがあると思います 石を投げると水面に波が広がります 広がった波は 壁やその他のものぶつかり元のところへ跳ね返ってきたり 別の方へ向っていきます この波が 私は縁に似ていると思います 私たちの日々の生活での言動が 多くの波を起こし広がり 多くの人に影響を及ぼし そして自分たちも返ってきます 多くの波が重なったところに私たちがいるのです 縁は眼に見えません だから その波が私たちにはどのようなものかよくわかりません いい波なのか悪い波なのか 大きな波なのか小さな波なのか 自分が起こしたものなのか他人が起こしたものなのか 波は時間を越えてやってきます 過去に起きた波が今日私に押し寄せることもあるでしょうし 逆に今日私が起こした波が将来自分やあるいは家族に来ることもあるでしょう 時間を空間を越えて出たり返ったりする波が私は縁であると思います そして その波が複雑に重なり合ったものがカルマだと考えています

良い縁を受けることができれば 私達は幸せになることができます 悪い縁を受ければ 私達は幸せから遠ざかることになります 悪い縁から逃れる方法はあるのでしょうか 基本的にはありません 眼に見えず いつどこから来るのかわからないのですから対処の方法がありません 唯一可能なことは 自分が良い縁を作りまわりに広めることです 良い縁が広がることによって 悪い縁を中和したり小さくすることができます 悪い縁はいつどのような形で来るのかわかりませんから 常日頃生活の中でよい縁を作ってゆくしかありません

どのように良い縁を作ってゆくのでしょうか それは 仏様を信仰し お題目を唱え 教えの実践として日常生活の中でよき人となるよう努力することです 信仰 唱題 そしてよき人となるよう努力することによって私達は良い縁を作り出すことができ それを広めることができます 諺で類は友を呼ぶといいます 悪い縁が多くあれば悪い人といつの間にか集まり 自分も悪い人へと変わっていきます 逆に良い縁が多くあれば良い人と交流し よりよき人へと変わることができます これが縁なのです

日蓮聖人は そのお手紙の中で 「今日蓮は過去現在未来について説かれた教えを深く守り その教えの中心であるお題目を自分でも唱え 人にも勧めている 麻の袋の中の蓬や墨を入れた木は 元々曲がっていたものであるけれども 自然となっすぐになるようなものである お経の説くようにお唱えすれば 曲がった心は無くなる きちんと理解しなければならないことは 仏様の慈悲の心が私たちの体に入ってきて初めてお唱えすることができるのである 」このお言葉は 縁について述べられたものと私は理解しています

私達は 縁あって 法華経を信仰し お題目を唱え よき人になるよう努力を重ねています 逆にそのこと無くしてよい縁をつくることはできません 何もしないでただ待っているだけでは 眼に見えない縁に翻弄されるだけです 自分が幸せになりたいのなら まず良い波を送って自分の周りの人に幸せになってもらい この社会をよくし皆に幸せになってもらう そのことにより自分もいい浪をもらうことが いい縁をもらうことができるのです 私達は法華経を信仰し お題目を唱え よき人になるよう努力を重ねてよき縁を作ってゆくしかないのです

2014年2月2日