松葉ヶ谷雁信

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お彼岸

今日は春のお彼岸法要を行いました 春のお彼岸とは 春分の日を中心とした前後一週間を指し 六波羅蜜という6種類の仏道修行に励む期間とされています 「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉が日本にはあります 春の彼岸が過ぎると寒さが緩み 秋の彼岸を過ぎると暑さも和らぐという意味ですが 彼岸は季節の変わり目を示す期間とも感じられます 元々彼岸という言葉は 向う岸に至るという古いインド言葉からきたもので 迷いの多い私たちの世界から清らかな仏様の世界へ至ることができるように特に気をつけて修行をしましょうという期間なのです

さて 彼岸は一日の中で昼の時間と夜の時間の長さが同じであることから どちらにも偏りがない時期といえます そのため仏様の重要な教えの一つである 中道の教えを実践するのに適した期間と考えられているのです 中道の教えとは偏らないこと 偏るということは 自分の心に執着があることを意味しています 執着があるということは 欲があること 自分の心に曇りがあることを意味しています 私はカレーライスが大好きで 毎日毎食でもいいと思うくらいです 大学生の頃 一週間朝昼晩カレーを食べ続けたことがあります その時私はとても幸せでした しかし それはいいことだったのでしょうか 同じものを食べ続けることは 体にとってあまりいいことではないでしょう 栄養が偏ってしまうからです 一週間だからよかったものの 一年続けていれば病気になったことでしょう いろいろなものを満遍なく食べることにより 栄養が偏らず 体を健康に保つことができます 私たちの精神も同じです どこかに偏りがあれば 欲があるということであり 何時かバランスを崩します そして心の病気になる場合もあるでしょう 病気にならないように 心の健康を保つためにはどうしたらよいか 偏らないようにすること 過度の執着を捨てること 行き過ぎた欲望を捨てることです その為にどうしたらよいのか 中道の教えの実践として 最初に話をしました六波羅蜜のという修行をすべきといわれています 六波羅蜜というのは 布施 持戒 忍辱 精進 禅定 智慧の6つの修行のことです この6つが何故中道の教えの実践なのでしょうか 布施とは 自分の持っている何かを人や組織などにあげることです お寺にお金を寄付することをが典型的な例といえます これが何故修行なのかといえば 人が最も執着し欲望の対象となるのがお金だからです その欲望の対象を寄付することにより 執着から離れる修行となるのです 持戒は戒律を守って欲を節制すること 忍辱はその節制に耐え我慢すること 精進は誠実に努力を続けること 禅定は欲望に負けず常に心を安定させること 智慧とは 私たちの智慧ではなく 仏様の智慧のことで 布施持戒忍辱精進禅定の4つの修行を完成することによって得られるものなのです 逆に言えば 仏様の智慧を得ることができれば 欲を離れた偏りのない安定した心の状態となり それは即ち悟りを得た状態といえるのです

このような修行が私たちにできるでしょうか 仏様の智慧を得ることができるでしょうか 誰しも不安になり 難しいと考えると思います 私たちの宗祖日蓮聖人も同じようにお考えになりました そして 六波羅蜜全ての修行をする代わりに 末法の凡夫である私たちにお題目をお唱えしなさいと教えられたのです なぜなら 法華経は仏様の智慧が詰まった教えであり その法華経のエッセンスがお題目であるからです お題目をお唱えすることにより 仏様の智慧を自然に頂くことができるといわれているのです

ところで 今日の彼岸特別法要では 自らの修行としての法要と共に 先祖の菩提も弔いました 何故先祖供養もするのでしょうか それは 昼の時間を生きている人の世界 夜の時間を亡くなった人の世界と考え 一日の中で昼の時間と夜の時間の長さが同じであることから 彼岸は普段離れている二つの世界が接する時と考えることによります ですから すぐ近くにいる亡くなった家族を供養しますし できれば彼岸法要の前か後にお墓あるいは納骨堂に行って会ってきてほしいと思っています 彼岸法要は自分の修行であると共に先祖にも回向することができる素晴らしい法要であるといえます その上 婦人会の方々は皆さんのために牡丹餅まで作ってくれました もう至れり尽くせりの最高の法要です

彼岸は 年に2回の特別な法要です 共に修行し 共に亡くなった家族を弔い 共に牡丹餅を楽しみたいと思います 本日お参りされていない方にも次回9月21日は 是非お参りされるようにお互いにお誘い下さい 

2014年3月23日