松葉ヶ谷雁信

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小川先生

第12代ハワイ開教区長並びにハワイ日蓮宗別院主任であられた小川如洋先生が2014年5月18日に遷化されました 心からご冥福をお祈りしたいと思います 皆さんもたくさんの思い出をお持ちだと思います 今日は ニュースレターに書いたことと重複することもありますが 私が知るエピソードをお話して 小川先生のことを共に偲びたいと思います

小川先生は 大学を卒業後立正大学大学院に進学され 当時の学長の坂本日深先生から勧められ 海外布教を志すことになりました 実はこの時坂本学長に呼ばれたのは小川先生お一人ではありませんでした もう1人は持田貫宣上人という方で 小川先生の親友とも言える方でした お二人は 学生時代から終生篤い友情で結ばれておられました お気付きの方もいると思いますが 6月30日に行われる小川先生の葬儀の大導師をお務め頂く方こそ 実はこの方なのです 亡くなる随分前からのお約束で 何かあればお互い必ず面倒を見ることなっていたそうです

さて 1960年頃は飛行機での旅はまだ珍しく 船で渡航するのが普通の時代でした 横浜を発って8日目 1961年12月28日にハワイに到着されました 知り合いもいないからと船室で寝ていると 当時の助員である生駒龍恵先生が迎えに来られ 別院に参拝し 昼食をご馳走になりました つまり 小川先生の海外布教の第一歩はハワイに記され 初めて訪れた海外のお寺もこのハワイ日蓮宗別院だったのです

翌日出港し 船は1962年1月2日にサンフランシスコに到着しました 先生はこの時の体験を『船の中でクリスマスも正月も迎えた・毎日パーティーでとても楽しかった』と言われていました それからロサンゼルスに移動し 最初はロサンゼルス教会の助員として活動を始められました 半年後ソルトレーク教会に主任として迎えられ その後サクラメント教会主任に異動されました サクラメントでは 本堂や庫裡を新築し 隣接地を購入するなど大きな成果を上げられました そして39歳の若さで北米開教区長にも就任されました

高齢を理由に勇退された村野宣忠第11代開教区長の後任として1989年にハワイ日蓮宗別院に赴任されました 赴任直後に複数のメンバーからどうか本堂を建てて下さいと小川先生は懇願されました それまでの別院の本堂は 望月先生の時に建てられたもので 予算の関係から正式なものはどうしても無理で 仮本堂として建てられたものでした 

私が初めて小川先生にお目にかかったのは 1992年の1月ことでした 新年が明けてすぐ 開教師養成研修生として吉木英雄先生がハワイに赴任されました 皆さん吉木先生を覚えておられますか?途中でワヒアワ教会に異動され 7人の子供を持った方でした その吉木先生と私は 年齢はかなり違いましたけど 大学院では同級生でした 同級生が海外布教を行くことを知って私は吃驚しました 僧侶としてそのような選択肢を考えたことがなかったからです 吉木先生がこのハワイに赴任してすぐハワイ大学で国際法華経学会が開催され 私もその学会に参加するために初めてハワイに来ました そこで 小川先生にお目にかかりました 先生は私に海外布教に興味はあるかと尋ねられました 私は そのことは少し前から考えていましたと答えました ハワイはどうだと聞かれましたので いいところだとは思いますが 初めてなのでよくわかりません それに 宗務院ではハワイと北米に交互に研修生を派遣していますので もし私が応募すれば 北米に派遣されることになるのではないかと思いますと答えました すると先生は 心配するな 北米から分捕ってやるといわれました その結果 分捕られた私は同じ年の11月18日に赴任しました

新本堂建立の運動が本格的に再開したのは 1997年でした その為の発願大会が9月に開催され それをハワイ最後の仕事として私はイギリスのロンドンに赴任しました 小川先生にとっての新本堂建立は 命がけの事業でした ハワイでも日本でも連日寄付を募って歩かれました そして 日本で倒れられました 医師からは絶対安静を命じられたにもかかわらず それを振り切ってハワイへ帰り 休むまもなく事業に邁進されました あまりのハードワークにあるメンバーはお願いだから休んで下さいと懇願しなければなりませんでした 正に命がけの新本堂建築でした 小川先生がいろいろと苦労をされている間 私はロンドンを拠点としてヨーロッパでの布教に励んでいました 1999年11月のことだったと思います 小川先生からお電話を頂きました 新本堂建築を手伝ってほしいとのことでした いろいろ悩みましたが お手伝いすることを決断し 翌2000年の3月末にこの別院に帰ってきました そして ハワイ日蓮宗別院の悲願がかなったのは 2003年のことでした

新本堂も立派に建ち 私は2007年の2月にカリフォルニア州ヘイワードにある日蓮宗開教布教センターに異動になり 別院を離れました

小川先生は 新本堂建立後体調を崩されることが増え ハワイでの20年にわたる激務に区切りをつけ 2009年に引退されました 引退後は心落ち着いた生活をゆっくり楽しまれるご予定でしたが 2012年7月から開教区長代理として第一線に復帰されました その翌8月に 私は再び小川先生がお電話を頂きました 別院の特別委員会で私が次期別院主任に推薦されたので それを受けてハワイに復帰して欲しいとのことでした 小川先生からお電話は いつもショッキングなもので 私の人生の転機を告げるものでした いろいろな事情があり即答することができず 結果的に翌2013年正月に別院主任 4月1日にハワイ開教区長に就任しました 小川先生には それまでの9ヶ月にわたって病躯をおしてハワイの為に指導をして頂きました

そして 2014年5月18日午後9時18分 77年のご生涯を閉じられました この日は奇しくもハワイで初めてお寺が建てられたハワイ開教の日でした 先生の海外での布教は ハワイに始まりハワイに終わりました ハワイ開教そのもののご生涯でした

私にとって小川先生は偉大な先生であり 師匠であり父親のような方でした 憧れの存在でした まだまだ先生から学ぶべきことが多くあり それができなくなってしまったことが残念で仕方ありません 先生から教えて頂いたのは 宗教的なことばかりではありません ゴルフも教えて頂きました 小川先生の下で訓育を受けた者は 宗教的にはとても敵わないので ゴルフで負かすことをひそかに目標にしていました 私は最後まで先生に勝つことはできませんでした 今はとても忙しいので 練習する暇はありませんが その内時間ができたら練習を重ねたいと思います そして 何時かあの世で先生とビール片手にゴルフをしたいと思っています

小川先生に心からの御礼を申し上げます

2014年6月1日