一生成仏抄
ご存じの方も多いと思いますが このお寺の池にはすっぽんが住んでいます 以前小川先生があのカメが鯉の稚魚を食べてしまうと言われていたので 捕まえて川に放流しようかと思っていました ところが 人に話を聞くと 勝手に川に放すことは法律違反になるのでできないと言われました 誰かが勝手に放していったものなのに このお寺のペットでもないのに放流できないのは納得いきません 頻繁に姿を見せるものではないので 次に見つけたらどうしようかなどいろいろなことを考えていました
2週間前に重要な会議に出席のために日本に行ってきました 気温が1度でとても寒く 日本に来たことを後悔するほどでした その分暖かい料理は格別においしく感じました ある時知り合いの方が 夕食にとても高級なレストランに連れて行ってくれました コース料理を頼んだのですが その中にすっぽんのスープがありました すっぽん料理は日本では非常に有名ですが 高価で私は今まで食べたことがありませんでした とてもおいしかったのでびっくりしました ハワイに戻ってきて池のすっぽんを見た時 どういうわけか違って見えました おいしそうに見えたのです 以前とは違った理由ですっぽんを捕まえたくなりました
さて 以前皆さんに仏眼 仏様の目についてお話したことがあります 覚えておられるでしょうか 仏眼とは 欲や穢れのない真実を見通す仏様の目のことです 私たちは自分の欲や穢れで真実を見ることが難しくなっています 冷静に客観的に物事を見ているつもりでも 実は見えていないことが往々にしてあります 例えば 曇ったメガネで物を見ている あるいは雨が降っているのにワイパーを使わずに車を走らせているといった状態で 自分はきちんと見えていると思い込んでいますが 実際にはよく見えていないのです ではどうしたら 曇ったメガネをきれいいすることができるのか どのようにしてワイパーを使うのか?その答えは信仰です 日蓮聖人は お題目によって仏様の目を手に入れることができると教えられています すっぽんの見え方が変わったとお話ししましたが 変わる前も変わった後も両方とも自分の欲望を通して見ていたのですから その意味できちんとすっぽんを見ていたわけではありません ですから 簡単に見え方が変わったのでしょう 仏眼とは 私たちの実際の目ではなく 心の目といえるものです 心を磨くことによって 心のくもりをとることができる 仏様の目を得られると教えられています このような日蓮聖人の教えは他にもたくさんあります 例えば 『一日一訓』の28ページを開いてみて下さい
『一生成仏抄』に
と教えられています 仏眼にしろ 鏡にしろ 問題は心を磨くということにあります お題目を信仰しお唱えして心を磨くことによって 仏様にだんだんと近づくことができ ついには私たちも悟りを得ることができるのです 何故なら 日蓮聖人は私たちがお題目をお唱えすると 仏様のお悟りが自然に少しづつ私たちの中に入ってくると教えられているのです もちろん私たちはいろいろな業を抱えており 急に全てを言うわけにはいきません お題目により私たちの心は少しづつ磨かれていくのです
今日は節分祈祷会を執り行いました 節分は 季節の変わり目 新しい年の始まりです 暦によれば 未年は平和な年となるそうです
今お祓いをしました 不幸が減り 幸運が来るようにと祈りました 平和な一年でありますようにと祈りました また私は このお寺の繁栄とメンバーの皆さんの発展を毎日祈っています これ以降は皆さんの努力です 深い信仰をもって お題目をお唱えする修行に励んで頂きたいと思います そして 善業を積み 少しでも仏様に近づく 仏眼を得られる 心の鏡がきれいに輝くようにしてほしいと思います そのことが皆さんがもっともっと幸せになるということです
2015年2月1日