松葉ヶ谷雁信

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550の物語

釈尊涅槃図をご覧頂くと 多くの人や守護神また動物や植物でさえ悲しんでいる様子がよくわかります お釈迦様がいかに偉大な人であったのかを示しています お釈迦様がなぜ偉大であったのかは 悟りを得られ そしてそれを人々に教えられたからです ではお釈迦様がいかにして悟りを開かれたのか 宮殿を出てから苦行続けられ その後菩提樹の下で瞑想をされ ついに悟りを得られたと私たちは理解しています お釈迦様の重要な教えの一つが縁であることは皆さん知っていると思います では お釈迦様はどのような縁をもってこの世にお生まれになったのでしょうか 当然の疑問だと思います 実はお釈迦様の前世については多くの物語があります どのくらいあると思いますか?約550ほどの物語があります 今日はそのうちの有名な物語について お話をしたいと思います

山の奥深い谷に猿の群れが住んでいました そこは密林の桃源郷で 果物が一年中実っていました 一族の猿たちは おいしい果物を食べ とても楽しく暮らしていました この群れのリーダーは金色の毛におおわれたまことに美しい猿でした ある時 群れが林の中で遊んでいると 「助けて!」と声がしました 猿王が見下ろすと 一人の人間が谷川に落ちて流されていました 猿王の命令でみんなで協力して助けました 九死に一生を得たこの男は 猿たちを拝みながら 「ありがとう ありがとう」を繰り返し 「どのようにお礼をしたらよいですか」と聞いてきました 猿王は 「溺れている者を救うのは 私たちの世界では当たり前のことです 私はこのような美しい毛並みをして猟師に狙われますので 人里から離れて山奥へ山奥へと隠れて住んでいます 助けたお礼はいりませんから ここに金色の猿がいることを絶対に誰にも言わないで下さい 」と言いました この男は「当たり前です 命の恩人ですから 絶対に誰にも言いません 」と誓って谷を下っていきました

男が町に戻ると 「美しい羽根や毛皮を持った鳥や動物がいるところを知っていて案内するものには褒美を与える」という高札が掲げられていました 「命の恩人を裏切ってはいけない 」と思っていましたが 時が経つと欲が出てきました 何度も何度も抑えてきましたが 遂に抑えきれなくなって 「私は 金色の毛を持つ猿のいる場所を知っています 」と名乗り出てしまいました そしてその男は 猿達の住む所まで国王や兵士を案内しました

そんなことは知らずに猿達はいつものように楽しく暮らして おいしいマンゴーなど食べていました 当時マンゴーは国王専用の食べ物で 「猿のくせにマンゴーを食べるとはけしからん」と激怒して 国王は兵士に矢を射させました 猿達は次々と殺され谷川に落ちていきました 猿王は 「枝を伝って対岸に逃げろ」叫びました 大人の猿は枝から枝へと飛び移っていきましたが 小猿はそれができませんでした そこで こちら側の伸びた枝を足でつかみ 向こう側の枝を手でつかむと 「早く私の背の上を通って向こう岸に逃げろ」と自らを橋として小猿を逃がそうとしました 沢山の矢が当たった猿王は 全員が逃げ切るまで耐えていましたが 最後の小猿が渡ると力尽きて谷川に落ちてしまいました

この様子を見ていた国王は 猿王の行為に心を打たれ 自ら川に飛び込んで猿王を抱きかかえました 息も絶え絶えになった猿王は 「このような金色の毛を持っているから狩人から追われて山奥に住んでいました どうして私たちの楽園を知ったのですか」と聞きました 国王は 「あの男が案内したのだ」と指さしました それはかつて谷川から救ってやった男でした 猿王は 「この男を信用してはいけません これは私たちが命を救った男です 救われたお礼に 私たちの住処を絶対に他言しませんと誓って帰った男です 」といいました 怒った国王は 「この恩知らずめ」と刀を抜いて殺そうとしました 猿王は 「王様 殺さないで下さい 死ぬのは私一人で十分です 」というと 死んでしまいました 深く反省した国王は この男を追放し 国民に殺生を禁じ 善政を行い 清らかな余生を送ったそうです 死んだ猿王は 積んだ善根により 後に生まれ変わってお釈迦様になったそうです

ここでまず私たちが注意しておくことは お釈迦様の前世が人ではなく 猿であったことです 実は他の前世の物語の中では 鹿であったり ライオンであったり 鳥の場合もありました ここで何がわかるのかといいますと 仏教では人とその他の生き物の命は同じであり 差別はないということです 差別がないからこそお釈迦様は前世でそのような形でこの世に生まれてこられていたのです もし 差別意識があったとすれば 動物として生まれたという物語はなかったと思います そして 動物であったとしても 善根を積むと生まれ変わって 最後には悟ることができることが説かれています 仏教は 仏様の教えであると同時に 仏になる教えであります 仏になることができるのは 何も人間だけではなく 動物も同じ 生きとし生けるものすべてにその可能性があることを示しています ここが仏教のとても重要な特徴と言えます そうであるからこそ そこに掲げてある釈尊涅槃図に 動物も悲しむ姿が描かれているのです 動物にとっても教え主であり 救い主であったのです 私は仏教を信仰していることを誇りに思います 皆さんも どうぞ仏教の素晴らしさをご理解ください

2015年2月15日