泥中の蓮
月日の経つのは速いもので 今年ももう6月となりました 卒業のシーズンも迎えており 今年高校や大学を卒業される方には心からお祝いを申し上げます これからの人生のご多幸をお祈りします
さて 皆さんお気づきの通り 蓮が大いに茂り 今たくさんの美しい花を咲かせています 今年は花が咲かないかもしれないと心配していたのですが杞憂でした 毎日見ていますが その気高さには驚くばかりです ご存じの通り 蓮は仏教を象徴する花です 私たちが信仰する教えも法華経といい 蓮をその名前に持つお経です 毎日お唱えしているお題目にも当然のことながら 蓮という言葉が入っており 私たちにとっては深い縁のある花と言えます 今日はその蓮ということからお話を始めたいと思います
まず 私たちの信仰する法華経ですが 正式なお経のタイトルは 妙法蓮華経といいます これは蓮ように清らかな妙なる教えという意味です 蓮にもいろいろな種類があります 白もピンクももっと濃い赤いもの青いのもあります 法華経が意味しているものは 実は白い蓮です 色がついているものではありません 個人的にはピンクなどとても美しいと思います しかし 色がついているものより白の方が より清浄なものの象徴として相応しいということだと思います 昨年このお寺のパンフレットを作りました その時表紙に使ったのは真っ白な蓮の写真です それは 当然法華経の蓮ということを意図して使いました
法華経はそのタイトルに蓮という言葉が入っているくらいですから そのお経の中にも蓮に関連することがたくさん説かれています 蓮華という言葉自体が 法華経の中に43回も出てきます その中で最も有名なものの一つは 「如蓮華在水」という言葉です これは 水の中の蓮華のようにという意味ですが その水とはきれいな水ではなく泥水を指しています ご存じのように 蓮はきれいな水の中では咲きません 必ず泥の中で成長します その泥の中で咲く蓮ですが シミ一つなくきれいな花を咲かせます きれいな水の中できれいな花を咲かせるのなら 皆当然と思うかもしれません 泥水の中で咲くからこそその美しさが際立つのだと思います そしてそのような花であるからこそ仏様の教えを象徴するのに相応しい花と言えます 泥水とはいろいろな苦悩の満ちた私たちの世界を指し シミ一つない気高い花は 仏様の教えを意味しています 蓮の花を見て頂くとわかるのですが 泥水の中からまっすぐに伸びた茎の上に花を咲かせます 花が終わると曲がりますが 咲いている間は真直ぐに立っています また 大きな花を咲かせます 泥水の中から真直ぐに伸びた茎の上にシミ一つない気高い大きな花を咲かせます その様は誠に仏様の教えのようだと思います そして いろいろな苦悩に満ちた世の中ではあるけれど 真直ぐに大きくシミ一つなく気高く美しく生きることを教えているのだと思います だから お経の中で 蓮華の水にあるがごとくと言われているのでしょう
どのように書いてあるのか実際に法華経を見てみましょう お手元の法華経の239頁 上から3行目です その前の文章も含めて読むと 「立派に菩薩の道を学習し 世の俗事に染まらないことは ちょうど蓮華が水中にあるかのようです 」これは 仏様の弟子である地面から湧き出した菩薩について述べたものですが 大乗の菩薩の在り方を示すものとしてとても有名な文章です 大乗の菩薩とは地面から湧き出した菩薩だけを指すのではありません 実は 末法に生きる私たちをも指しているのです それは法華経は 大乗仏教の中心をなす教えであり それを修行するものは 大乗の菩薩ということです 汚い世の中でもそれに染まることなく気高く生きることを教えています
ところで 皆さんの中で 悩みを抱えている人がいると思います 心配事を抱えている人もいると思います 大変な思いをしながら 苦労しながら生きていることと思います 私もそうです 多分ここにいる全ての人がそうでしょう 悩みを抱えていない人 心配事を抱えていない人 そのような人はたぶんいないと思います みんなが悩みを抱えているのです みんなが苦しみながら生きているこの世界に 気高く美しい花が咲くのです それが 仏様の教え 法華経の教えなのです 逆に言えば 私たちの苦しみがあるからこそ清らかな蓮の花が咲く 仏様の教えがあるのです 私たちの苦しみのために仏様の教えがあるのです 私の悩みのために法華経がある このように考えると 私は少し気が楽になります 私が悩まなければ 法華経は存在しない 法華経が存在しているということは 私は悩んでいいし その悩みを教えにぶつけても良いといえます ですから 皆さんも悩んでいいし その悩みを法華経にぶつけてみて下さい
悩みを法華経にぶつけるとは 法華経を信仰し お唱えする時に仏様に向かって心の中でお尋ねすることです もし必要であれば 「一体どうしたらいいんですか!」と心の中で叫んでもいいと思います 答えを求めて祈り尋ね続けることが私は法華経にぶつけることだと思っています 私も何回もぶつけました ぶつけ続ける内に だんだん気持ちが落ち着いてきて何かしら気が付くことがあります そしてそれが 仏様からのお答えであると私は思っています 私にとって都合のいいお答えではなく つらく大変なお答えであることが多いのですが その方が最終的にはよい結果をもたらしてくることが多いことも事実です
皆さんにお勧めしたいことは 大きな声でお経やお題目をお唱えすることです 特にお寺ではそうして下さい お寺以外の場所で 例えばダウンタウンで大きな声でお題目をお唱えすると きっと警察が来てどうしたのと聞かれるでしょう お寺ではどれだけ大きな声を出しても誰も気にしません そういう場所なのですから 大きな声でお経やお題目をお唱えするとは 力を入れてお唱えするということですから 普通以上に御利益があります 宗教的な修行というだけでなく 大きな声を出すことが身体的にも精神的にもいいことが医学的にも証明されています 簡単に言えば 大きな声を出すことで 大きな呼吸をすることになり 新鮮な酸素をたくさん体に取り入れることになります 肺の活動を高め 体内の酸素や血液の循環を良くするのです また 大きな声を出すことがストレスの発散にいいことは皆さんご承知の通りだと思います
大きな声でお経やお題目をお唱えすることは 修行ということのみならず 身体的にも精神的にもよく 現実的な御利益もより受けることができるということになります このような意味で お寺の日曜法要にお参りすることは とても素晴らしいことと言えます 老若男女誰にでもできることです ですから 皆さんのご家族 親せき 友人知人みんなに声をかけて 是非一緒に連れてきて下さい お経の功徳をみんなで蒙り 共に幸せになりたいと思います 大乗の菩薩の修行をし 乱れたこの世で私たち一人一人が蓮のごとき存在にとなりたいと思います
2015年6月7日