お題目
今日は唱題行でお題目をたくさんお唱えしました とても有難いことです お題目は 法華経に帰依しますという意味です 法華経の正式なタイトルは 妙法蓮華経であり その妙法蓮華経に帰依しますということが南無妙法蓮華経 お題目であることは今まで何回もお話してきました 皆さんの中で お経やお題目をお唱えしていた時に なぜか理由はわからないけれど 感動して 有難くて涙が出たという経験をした人はおられますか?手を挙げてみて下さい ありがとうございました 私はそのような経験をしたことが何回かあります 本当になぜかわからないけれど お経やお題目をお唱えしていると とにかく有難くて涙が止まりませんでした このような日曜法要でも涙が出そうになる時があります
宗祖日蓮聖人は 法華経を読む時は 頭だけで読むのではなく 頭だけで理解しようとするのではなく 心と体で読むようにしなさい 理解するようにしなさいと教えられています ともすれば 私達は難しい教えを頭だけで考えて 全てを理解したような気になっています 理論は理論として大切なことに変わりありません 教えがしっかりしていないと信仰する意味がありません しかし 同じように大切なことは 心と体で理解することなのです 心で理解するとは 信仰心を以てその教えを受け入れることだと思います 体で理解するということは 教えを実際に日常生活の中で体験するということです 日蓮聖人も自分の身を以て法華経に説かれていることを体験され この教えが最高の教えであることを頭と心と体で理解されたのです 頭で理解するよりも 心と体で理解する方がより時間がかかり 難しいことと言えます
先ほど お経やお題目をお唱えしていると 有難くて感動して涙が出る時があるとお話ししました そのような体験は私だけではなく メンバーの中でも経験している人はいますし 僧侶であれば少なくとも一回は経験していることです 何故このような体験を多くの人がするのかについて 私達の頭ではなく 心が教えを理解し感動したからであると言われています 例えば 素晴らしい絵を見たりや音楽を聞いて感動することがあります 美しい花を見て感動することがあります 何故感動したのか多くの人はその理由はわかりません 画家がテクニックや色使いなど卓越した技量を以て絵を描いたとしても感動するとは限りません きっと人は よくはわからないけれど 何か感動するものがあるというでしょう 多分卓越した技量を以て表現された画家の感動や思いが人に伝わるのだと思います 楽譜も読めないしまして理論などわからないけれど それでも多くの人は音楽を聞いて感動します ですから メンバーの中で 日蓮宗の教えについてよくわからないという人がいると思います 私はもちろん素晴らしい教えですので 理解してほしいと思っています しかし 理解していないからダメというつもりはありません 教えがわかっているから信仰しているとは限りません 例えば 私は時々バイブルなど他の宗教の本を読みます 多少理解をしているかもしれませんが 信仰はしていません このように 教えを理解していても信仰していないことは多々あります 頭で理解していなくても 心と体で理解実践すればいいのです 教えはよくわからないけれど 深い信仰をしている あるいは教えに沿った生活をしている方がよほど宗教的には意味があります
日蓮聖人が 法華経に説かれているお釈迦様の悟りや功徳は全て妙法蓮華経という漢字5文字に含まれている だから この5文字を信仰すればよいと言われました 何故 たった5文字にお釈迦様の悟りと功徳がすべて含まれているといえるのでしょうか それは 簡単に言えばそれがそのお経のタイトルだからです 例えば アメリカという言葉はアメリカの文化 歴史 国土 国民等を含めたアメリカの全てを意味しています 妙法蓮華経という言葉には お釈迦様が説かれた最高の教えが凝縮されています お釈迦様は いろいろな縁をもってこの世にお生まれになりました その縁を良い方向に育まれ 修行を重ねられ 悟りを得られました 悟りを得られてから説かれた数々の教えの中で 集大成として教えの結論として最晩年に説かれたのが妙法蓮華経なのです ですから 縁 修行 悟り 教え等お釈迦様に関するいろいろなものが全て入っているのが妙法蓮華経という教えであり それを更に濃縮したものがそのタイトルといえます 妙法蓮華経という漢字5文字には お釈迦様の縁 修行 悟り 教えなどすべてが詰まっているのです ですから 妙法蓮華経というお経のタイトルがとても重要といえるのです 妙法蓮華経を信仰しますという言葉が 南無妙法蓮華経というお題目であることは最初にお話ししました このような理由でお題目をお唱えすることはとても重要といえるのです
お題目をお唱えすることにより 妙法蓮華経の全てが お釈迦様の全てが 私達の中に入ってきて 成仏の種が心に植えられます お題目をお唱えするということは 仏の種を植えるだけではなく それを育て 花を咲かせる効果もあります ただ 種を植えた私たちの心は いろいろな欲望が渦巻いており また悪いカルマもたくさん持っており 種を育てるのにあまりいい状態とはいえません 畑の状態をよくし 水をやり 日光に当て 肥料を与えなければなりません お題目をお唱えするということは 種をまくだけではなく そのような生育環境を整えるということでもあるのです だから お題目をお唱えすることはとても大切なのです
ところで 仏様の種を植えるといいましたが 人の心に種を植えるのは その人でなくても構いません 例えば 今私はお題目をお唱えし お題目のお話をしています これは 私が皆さんの心に仏の種を植えているのです 他の人に種を植えることは可能なのです ただ 植えられた種は その人にしか育てることができません 他の人の修行は 自分のためにはなりません 自分のためには自分で修行しなければなりません ですから 皆さんは 大いに仏の種をまいてきて下さい その種を育てるために多くの人をここに連れてきて下さい そして 共に修行をして仏様のようになりたいと思います
2015年8月16日