怨親平等
今日は永代経法要を営みました 永代経とは 特別な霊簿を作り そこに記載された方の冥福を永遠に祈るというプログラムです これは基本的に子供や後継ぎのいない方がずっとっ供養してもらえるようにと始められたもので 年一回ではありますが 一人一人のお名前を読んで回向をしています 亡くなった後供養をしてくれる家族がいない人だけでなく 子供はしてくれるだろうけれど 孫やその後の代になるとわからないからと申し込まれる方もいます 約400名の方の名前が霊簿に記載されています 生きている内から申し込まれている方もいて 今年新たに5名の方のお名前が追加されました きちんと供養しますから ご安心下さい
さて 一昨日ハワイ日本文化センターの主催で ホノウリウリを視察する機会を得ました ホノウリウリとは 第2次世界大戦中にハワイ最大の収容所があった場所で 長く忘れ去られてきましたが 今年ハワイ日本文化センターを中心とした多くの人の尽力により 国の重要史跡と認定されました ご存じの通り 日本との戦争が始まって ハワイの日系人日本人は塗炭の苦しみを味わいました お坊さん 神主さん 学校の先生 政治家など地域のリーダーと言われれるような人が何の罪もなく逮捕され 収容所に送られました 日本人はアメリカ本土の収容所に そして日系人はホノウリウリに送られたそうです 収容所に送られた人たちはとても苦労しましたが 父親であり夫であり息子を逮捕され 残された家族はもっと大変であったと思います それは 収容所に入れらるということは ひどい環境であったとしても 衣食住に関しては保証されることになります しかし 残された家族は 一体いつどこで何の容疑で逮捕され どこへ収容されたのかも知らされず 一家の稼ぎ手を奪われながらも何の保証もなかったからです 小さい子供や老人を抱えた家族は本当に大変だっただろうと思います
当日は 早朝にハワイ日本文化センターに集合して バスでホノウリウリへ向かいました H1を西に進み クニアロードで降りて少し北に行ったところにホノウリウリはありました ある企業が所有する広大な土地の一角で 現在は連邦政府の所有となりましたが 簡単に行けるところではありません 収容所があった場所は丘に囲まれた盆地です そこに立って見上げると 高い丘が邪魔となり 半分以下の空しか見えませんでした 木や草が生い茂っていたためか海も見えませんでした 世間から切り離され隔絶された場所 逃げられない場所という圧迫感がありました 短い時間でしたが 70年前にここに収容所があり 何の落ち度もないのに苦労を強いられた人達がここで生きていたことを思うと涙が出そうでしたし 現在の平和を心から有難いと思いました ここが歴史的史跡となった理由は 過去の間違いを2度と繰り返さないようするため 犠牲者を弔うため そして 現在の繁栄を感謝するためだと思います 今日この永代経法要の中で供養した人の中にも 収容所で苦労した人がいるかもしれません 自分は収容所に入らなくても 家族が入れられたりして苦労した人は多いでしょう
また 以前お話したと思いますが このお寺には真珠湾攻撃で亡くなった66名の日本人犠牲者の霊簿があります 攻撃した側の戦争犠牲者を誰も供養しないのを気の毒に思ったある人が 独力で調べてリストを2部作り 1部をアリゾナメモリアルに もう一部をお寺に奉納することにしました アリゾナメモリアルはすぐ受け入れてくれましたが 日系人の心情を慮ったお寺は断ったそうです 唯一受け入れたのは この別院の第10代総長堀先生でした 以来ここにずっと安置されています 小川先生の時代から永代経法要の時に供養を続けています 私は今日の法要の中で 日米両方の犠牲者の冥福を祈りました
仏教の教えの中に 「怨親平等」ということがあります 慈悲という観点から 憎い相手も親しい人にも同じように接しなさいということです これは 憎しみを抱いている人に意地悪をしたり冷たくしてはいけませんということと同時に 親しいからといってあまりに執着してはいけないということです つまり 憎い敵であっても亡くなったら 分け隔てなく弔うことを教えています どのような背景があるにしろ 亡くなられたのなら 仏様の教えの通りにできるだけ同じように供養をしてあげたいと私は思っています この世の平和だけではなく あの世での平和も日蓮宗の祈りには含まれるのです 私達のお経の功徳により 仏様の慈悲に包まれて 皆があの世で仲良く幸せに暮らしてほしいと思います
2015年11月8日