ヒロ教会
今日はヒロ教会のことについて少しお話ししたいと思います ご存じの通り 日蓮宗の布教がハワイで始まったのは 1902年5月18日に高木行運先生がカパパラ教会を創立した時でした 高木先生は 1899年にハワイに来られたようですが それから法華経信徒が多くいて お寺が建てられそうなところを探してあちこちにいかれ 結局ハワイ島のカパパラというところにお寺を建てられました 当時の写真を見ると 多くの人がお参りしていたことがわかります ハワイ島には多くの砂糖キビプランテーションがあり 沢山の日本人日系人が働いていました ところが 砂糖キビプランテーションの機械化が進み 以前ほど人手が必要でなくなると キャンプは閉鎖されるようになりました 必然的に労働者である日本人日系人はヒロかホノルルに転出を余儀なくされていったのです それによりカパパラ教会のメンバーが減少し お寺の衰退を招くことになりました 逆境に負けることなく高木先生の後 布目潮清先生 立石正英先生 望月桓龍先生と続き お寺の維持発展に努めました 戦後 新海泰妙先生が1954年に赴任されますが 3年後1957年にマウイ島プウネネ教会に転任され それがカパパラ教会最後の駐在開教師となりました
その後カパパラ在住の信徒と ヒロ在住の信徒が協議してヒロに教会を移転しようとしましたが メンバーも少なく経費捻出の目途も立たず断念しました
1959年に 望月先生がヒロ在住の信徒の協力を得て ヒロ分教場を設けました 1961年にハワイ州が現在地を売却することを発表し ヒロ在住の信徒とカパパラ在住の信徒が再び協議して購入することを決議しました そして望月先生に協力を要請し 別院理事会は費用の全額負担を決議しました 当時別院は 1956年に現在地を購入し 翌1957年に仮本堂を建てて移転 旧境内地にはアパートを建てました 何故本格的な本堂ではなく仮本堂であったのかは 資金が足りなかったからでした 多額の負債を抱え その返済には大変な努力が必要でした そのような時にヒロ教会の境内地を全額負担で購入することを決めた望月先生並びに理事会の皆さんの信仰と決断には驚くと共に感謝の言葉もありません このローンは結局1974年に完済となりましたので 別院移転から17年 ヒロ教会境内地購入から13年かかったことになります
望月先生は 1932年6月にハワイに来られ そのままカパパラ教会の主任に就任されました 望月先生の開教師としての歩みは ハワイ島から始まったのです そのためでしょうか
私には望月先生のハワイ島布教に対する並々ならぬ想いを感じます 私は一連の数珠を持っています これが誰の数珠であるかご存じでしょうか 望月先生の数珠です
ある日 小川先生と私で物置の片づけをしていた時 偶然に発見しました そしてそれを私に下さったのです その日以来私は大切に保管し一度も使ったことはありませんでした 望月先生は ヒロ教会の実質的な創始者ですので この数珠を以て私はヒロに行きました 望月先生と共にヒロ教会創立50周年のお祝いをしたいと思ったからです 別院が購入した土地に信徒が協力してお寺を建て 1965年に竣工しました この年から数えて 今年がヒロ教会50周年となります
お寺は建ったものの 1969年に梶山順弘先生が最初の開教師として赴任するまでに4年の時間がかかりました この後 水野妙耀先生 辻村行遵先生 松本学堯先生 そして現在の菅原法正先生へと受け継がれていくのですが 途中途中で無住の時代があります ということは メンバーだけでお寺を護ってきた時間があるということです つまり このお寺はそのような熱心なメンバーによって護られてきたお寺であるということです そのようなメンバーがいなければ 廃寺になった可能性も高いのです このように考えると 先生方の努力も大変なものでしたが メンバーの努力もまた特筆すべきものと言えます ヒロ教会では 来月初めに創立50周年の記念大法要が執り行われます 50年という時間がそのような努力の賜物であることを理解し 今日の様相を見る時 その努力は決して無駄ではなかったと思います
2010年に菅原先生が赴任され 久美子夫人と共にこのお寺を少しでも良くしようと大変な努力を重ねられました そのかいあってヒロ教会は大きく変わりました これからもっともっと発展していくものと期待をしていました 残念ながら菅原先生は近々退任帰国されるそうですが 先生がいてもいなくてもお寺が重要であることには変わりありません ヒロ教会のメンバーが 今日までお寺を護り発展させてくれたことを 私はとても嬉しくまた有難く思います
お寺とは信仰の道場であると共にメンバーのみならず人々や地域社会の宝です 先生不在となりまた苦難の時代となりますが その宝を是非護って頂きたいと思います この別院もできるだけ協力しなければなりません
2015年12月13日