松葉ヶ谷雁信

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みんな違って それでいい ― 法華経が教える本当の平等

皆さんおはようございます
このお寺には多くの方がお参りになりますが ご高齢の方が多くいらっしゃいます 今パッと周りを見まわしてみて下さい 今日集まってる方々の平均年齢は結構高いものかもしれません そのせいでしょうか 皆さんの話題は健康についてが多いように感じます かくいう私達も先週健康診断に行ってきました 結果は 律子も私も大きな問題はありませんでした
しかし 面白いお話を聞きました それは 私達が診察してもらったお医者様は70代で 奥様が医療事務を担当されています 何十年もご夫婦として一緒に暮らされていつも同じ食事を食べてこられました 通常の食事に加えて 御主人である先生は甘いものがお好きでお菓子もたくさん食べられるし お酒も結構飲まれるそうです 一方奥様は間食をされることはないし お酒もあまり飲まないそうです 先生は私のような体型で 奥様はスリムな体型を維持されています このような話を聞くと 奥様は全くの健康で多分先生は糖分とコレステロールが高いのではと疑ってしまうのですが 実際は逆なのだそうです 先生が全くの健康体で 奥様の方がコレステロールが高いのだそうです 全く同じものを食べ 同じようにオフィスに出勤して働き 同じように暮らしているのに どうして違う結果が出るのかわからないそうです

この話を聞いて私は法華経の教えを思い出しました 皆さん法華経を開いて下さい 第5章薬草喩品にこのように説かれています 少し長くなりますが引用します

「迦葉よ たとえば 三千大千世界の山や川 警告や地面に生えている草木 叢林や 様々な薬草の その種類は幾種類もあり 名前や形もそれぞれ異なっている そこへ厚い雲が空にみちわたり 三千大千世界をくまなく覆って 一時に一様に雨を降らす その湿り気は 広く草木 叢林や様々な薬草の小さな根 小さな茎 小さな枝 小さな葉 中ほどの根 中ほどの茎 中ほどの枝 中ほどの葉 大きな根 大きな茎 大きな枝 大きな葉を潤す 様々な樹木の その大木のや 小さいのは (性質の)上中下に応じて それぞれその湿り気を受け取るが 同一の雲が降らした雨によってでも それぞれがその種類性質に応じて 生長し 花を開かせ 実を付ける このように 同一の地に生えたもの 同一の雨が潤したものではあっても 様々な草木にはそれぞれに差異がある」

とても深い教えだと思います 同じ雨に降られても 全ての植物がそれぞれ大きさに応じて潤いを得る 大きいものは多く 小さいものは少なく そして それぞれその種類性質に応じて生長や開花結実という結果を出します ですから 同じところに住んで 同じように働いて 同じものを食べて 同じように休む生活をしていても 別々の人間なのですから体格体調が違っても当然なのです 例えば 双子が同じように生まれて 同じように育てられても性格が違うことがよくありますが それで当然なのです 不思議ではないのです

先ほど読みました法華経の文章には大切な教えがたくさん含まれています まず 気が付くことは 同じ雨の下で 大きな木はたくさん小さな木は少なく潤いをもらうということです これは一見差別のように聞こえるかもしれませんが 違います それぞれに応じて潤いをもらうということで これこそが本質的平等であることを説いているのです 例えば 大人と子供が同じ量の料理を食べることを考えてみて下さい 同じ量であれば 大人には少ないかもしれませんし 子供には多過ぎるかもしれません そうであれば 大人も子供も満足することができません 同じ量の食事は一見平等のようですが そうではないのです 量が違っても 大人には大人に相応しいの量の 子供には子供に相応しいの量の食事であることが合理的であり 本質的平等と言えます そのことをここでは説いています

また 法華経では比喩を使った教えが多く たくさんの人が登場するのですが この話には人がでてきません 比喩の中で唯一人についての話がないことで 法華経の教えが人だけではなく 植物も動物も生きとし生けるものすべてを救う教えであることを示していると言われています

そして この比喩で最も大切な教えは 雨についてです 雨は 誰彼差別なく平等に降り注ぎます 大きな木にも小さな木にも同じように降り注ぎます これは お釈迦様の教えを表しているのです 老いも若きも男も女も誰にでも平等に教えを降り注いでいるのです このみんなに降り注ぐ教えこそ法華経なのです 素晴らしい教えだと思います

でも 法華経は素晴らしい教え大切な教えというけれど 他の人がより幸せそうであると思っている人がいるかもしれません もう一度法華経を開いて下さい 読んでみます

「衆生が 如来の法を聞いて それを保持し 読誦し その説法の通りに修行する場合でも それによって得られた功徳は 自分で自覚し知ることはできない それはなぜであるかといえば ただ如来だけが この衆生の種類 ありよう 本質 本性を知っており またどのようにことを心に思い どのようなことを考え どのようなことを修行するかということ どのように心に思い どのような手立てによって考え どのような手立てによって修行し どのような手立てによってどのような法を得るか ということを知ってるからである 衆生が 様々な場にとどまっているのを ただ如来のみが ありのままに見て 明らかに自在に知り尽くしているのだ それはちょうど 草木 叢林や様々な薬草が 自らは己の上中下といった性質を知らないようなものであり 如来はそれが一つのありよう 一つの味であると知っているのである 」

つまり 同じ教えであってもそれを信じる人によってその結果は変わってくること そして変わってもそれでよいということを説いているのです ですから みんな違っていいのです みんなバラバラでいいのです その人なりの信仰をして その人なりの幸せになればよいのです このような形で法華経はいろいろな人を救っているのです そして そのことを仏様はちゃんと理解し見ておられる ですから 安心して雨の恵みを受け取りましょう 信仰を深め幸せになっていきたいと思います

2016年1月24日