縁
仏様はいろいろな教えを説かれています
その中の一つにこのようなものがあります
「網の目が 互いにつながりあって網を作っているように すべてのものは つながりあってできている 」これは 私達人間やその他の動物植物などあらゆる存在はお互いに関係しあっているという教えで 縁の教えであります 今までも繰り返しお話してきましたように 縁とは不思議な繋がりともいうべきものです
縁は形を持ったものではありません 目に見えません 触ることもできません しかし 確かに存在し それがはっきりとわかることが時々あります 正に縁があったとしか言いようのない場合があります 目には見えないし 触ることもできないけれど それを深くはっきりと感じることがあります 縁を理解するのは いわゆる五感と言われる 見ること 聞くこと 匂いをかぐこと 舌で味わうこと 手でさわること以外の感覚で私達は理解します 皆さんも 縁を感じられたことは必ず一度はあると思います
縁を感じるのは もちろん私たちの心なのですが その中でも特に信仰の心なのです 縁という教えを知らなければ それを縁とは理解できません そのような知識があって初めて 縁を理解し感じることができるのです 例えば 仏様の教えを全く知らない人に縁の教えを説きます そうするとその人の心の中に仏様になる種が植えつけられるのです その種が植え付けられて初めて 過去に経験したことが縁であったとわかるのです ですから 仏様の教えに対する信仰心がないと本当の縁を理解できません
縁とは 仏様の教えでありますが 仏様が発明したものではありません 仏様の教えは全て既に存在している真理を私達に信仰を通して教えて下さっているのです 私達凡人には気が付かないことを信仰を通して教えて下さっているのです ですから 信仰は智慧であるということができるのです
縁の中で最も強いつながりを持つものは 親子の縁です 親がいて初めて子供はこの世に生まれてきます 親なくして生まれてくる子供はいません その意味で 子供にとって親は最も縁の深い人と言えます また 子供は親の縁を引き継ぐことになります 親に縁のある人は そのまま子供にも縁のある人となります 例えば 親の最も縁の深い相手であるその親は 子供にとっては祖父母として親の縁を引き継ぐことになります これを逆に考えますと 子供は生まれる前から 親の縁を引き継ぐことを運命づけられた存在と言えます 子供は 生まれてから縁をつないでいくのではなく 生まれる前から縁を持ってこの世に生を受けるのです ですから 縁とはこの世のものだけではないと言えます 時と場所を超え 私たちはいろいろな縁に囲まれています
縁はこの世のものだけではないからこそ 見たり触ったりすることができないのかもしれません 私は法事で 親が生きていようが亡くっていようが 親は親であり家族であるというとことを良くお話しています 家族の関係に生死は関係ありません 親はいつまでもずっと親であり 子供はいつまでもずっと子供であり 家族なのです だから 法事をして亡くなった家族を大切にしなさいと話しています
その最も縁の深い家族である母の日が来月にあり 父の日が再来月にあります このお寺では 深い縁を持って私達を生んでくれた母親に感謝の念を表すために エッセイコンテストを行っています お母さんが生きていても亡くっていても問題ありません 今月末までに「おかあさん 命をありがとう」というテーマで 感謝の言葉を綴ってほしいと思っています 形式や長さに制限はありません これは 宗祖日蓮聖人のお母様 妙蓮尊者の七五〇遠忌を記念してのものです 日頃忘れがちな感謝を一番大切な人のために言葉にしてみて下さい そして 縁の有難さ 縁という教えの有難さを理解して下さい
2016年4月17日