松葉ヶ谷雁信

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御本尊

皆さんおはようございます
今日は 予定を少し変更して 御本尊の開眼法要を月例祈祷会の前に行いました この御本尊についてお話ししたいと思います

皆さんの前に掲げられている軸物を御本尊と呼びます 御本尊は特定のものを指す言葉ではなく 一般的なものを指す言葉で 信仰の対象をそのように呼びます ですから

私達日蓮宗だけでなく 本願寺や浄土宗 真言宗 曹洞宗 天台宗にもそれぞれ御本尊があります また 曼荼羅とも言います 曼荼羅とは 仏様の世界を表したものを指す言葉で 真言宗にも独特の曼荼羅があります チベット仏教では砂で曼荼羅を描くことが知られています 日蓮宗では特に素晴らしいものなので 大曼荼羅と呼んでいます この大曼荼羅を日蓮宗では御本尊としてお祀りしているので 特に大曼荼羅御本尊と呼ぶこともあり そのように言う時は日蓮宗の御本尊だけを意味します

ここに掲げている御本尊は 最近このお寺に戻ってきたものです 昨年私がある葬儀社に葬儀を行うために行きました 葬儀社に着いて祭壇を確認すると御本尊が掲げられていません 私の記憶では確かにあったはずなのに 葬儀社の人は御本尊はないといいます 私も手伝うからと一緒に探しました 果たして物置の一番奥の方にありました 広げてみるとあちこちが破れてそれはひどい状態でした そのような御本尊を使うわけにはいかないので 念のためと持参したものを掲げて葬儀を行いました 葬儀が終わった後 くれるように交渉して お寺に持って帰ってきました 理事会において 大曼荼羅御本尊とは日蓮宗の信徒にとって最も大切なものであること ひどい状態の御本尊を発見して今手元にあること このまま放っておくわけにはいかないので修復したいこと 修復には結構費用が掛かることを話しました 理事会は快く賛成をしてくれ 専門家に依頼して修復をしました 今日改めて拝見すると 大きく 立派な筆致でとても素晴らしい大曼荼羅御本尊であることがわかります

この大曼荼羅御本尊についても少しお話をします いったいこれは何を表しているのかといえば お釈迦様が法華経を説かれている様子を表しています 法華経の第11章見宝塔品に次のように書かれています 少し長くなりますが 読みます

「その時 釈迦牟尼仏は 身を分けられた仏たちが ことごとく集まって来て各々に獅子座に座られたのをご覧になり 全ての仏たちが一様に宝塔を開く希望があることをお聞きになって すぐさま座から立ち上がって空中に留まられた 全ての四衆の人々は 起き上がって合掌し 一心に仏を見つめた

そこで 釈迦牟尼仏は右手の指で七宝の塔の戸を開かれた 大きな音がして 閂と鍵とを取り去って 大きな城の門を開けるかのようであった 戸が開けられるや そこに集まっているもの全ては 多宝如来が宝塔の中で獅子座に座られており その肉体は全身そのままで あたかも禅定に入っておられるかのようであるのを見 また 多宝如来が次のように言われるのを聞いた 『素晴らしい 素晴らしいことだ 釈迦牟尼世尊よ よくぞ快くこの法華経を説かれた 私はこの経を聴聞しようとして ここにやってきたのだ 』と 」 少し飛ばします

「その時 多宝仏は 宝塔の中で その座を半分釈迦牟尼仏に譲って 次のように言われた 『釈迦牟尼仏よ この座に座られよ』と 直ちに釈迦牟尼仏はその塔の中に入り その半分の座席に座られて 結跏趺坐された

その時に大勢の会衆は 二人の如来が七宝造りの塔の中の獅子座の上で結跏趺坐されたのを見て 各々にこのように思った 『仏のお座りになっている所は高くて遠い どうか願わくば 如来よ 神通力によって私達仲間を一緒に空中に留まらせて下さいますように』と

釈迦牟尼仏は 直ちに神通力によって大勢の集まりの者たちを迎えて 皆空中に留まらせられた 」

この本堂のお像を見て下さい 奥にあるお像の 右側が多宝如来で お釈迦様が正しい教えを説かれていることを証明するためにここに来られました 左側がお釈迦様で 法華経を説かれているのです 真ん中の塔は お題目 南無妙法蓮華経と書かれています とても高い所にお祀りしていますが 仏様が空中で法華経を説かれたことに由来しています 納骨堂に行くと もっと近くに御本尊を拝むことができます これでお分かりかと思いますが 日蓮宗の御本尊は 法華経のこの場面を仏像によって表したものなのです そしてそれを文字で表したものが 大曼荼羅御本尊なのです 仏像と文字とで形は変わりますが その意味するものは全く同じです お釈迦様が法華経を説かれている様子であり 悟りの世界なのです 私たちの日蓮宗の信徒の目的は 信仰によりこの場所に赴き お釈迦様の説法を直接聞き 修行し 悟りを得 仏になることなのです ですから この大曼荼羅御本尊に示されるものは 私達にとって理想の世界なのです

今日はこの大曼荼羅御本尊の再開眼を行いました ですから 開眼ということについても簡単にお話ししたいと思います 開眼とは わかりやすく言えば お祓いし 浄め 魂を入れ その機能を十分発揮できるようにすることです 大曼荼羅御本尊は 書かれただけではただの書と変わりません そこに命はないし 仏様の存在もありません ですからいくら拝んでもあまり意味がありません 私は以前スーパーで大曼荼羅の掛け軸が売られているのを見たことがあります それを買って掲げてもあまり意味はないのです 例えば 車を買っても ガソリンやオイルを入れず ただガレージに置いておくようなものです 車は移動するための手段ですから ガソリンやオイルを入れ 保険をかけ 実際に運転してこそ意味があります 同じように 大曼荼羅もお寺で開眼をして初めて御本尊となるのです

その理由を説明します この本堂の御本尊は 第8代沖原先生の時代に勧請されたものです それ以来誰かが毎日お経をあげ 大切にしてこられたものです 檀信徒を導き 多くの御利益を授けて来られた最も力のある有難い御本尊です ですから 木造ではありますが 私達は生きておられるお釈迦様として礼拝給仕をしてきました 毎日 お水とご飯をお供えしているのはそのためです 開眼をするということは 私たちのお経が 開眼する大曼荼羅や仏像 御位牌などを通って ここの御本尊に達し お釈迦様のお力や命が分け与えられるというということなのです ですから開眼をするということは お祓いをし 浄め 魂を入れることになり 信仰の対象となり 御利益を与えてくれるようになるのです 修復した大曼荼羅は 昨日まではただの軸ものでしたが 今日開眼をしたことにより御本尊となりました 私達にとってとても大切なものとなったのです 入り口に御本尊に関連する2種類のパンフを置いております 英文のものですが 宜しければお読みください 皆さんのご自宅に仏壇はありますか?御本尊をお祀りしていますか 御本尊は 日蓮宗のメンバーとしての誇りであり 証でもあります もし 御本尊をお祀りしていないのなら 是非お祀りして下さい

2016年11月6日